野矢茂樹「論理学」の二章(述語論理)


論理学

野矢茂樹「論理学」の第二章を読み終えました.前回の更新から二週間ほど時間がたってしまいましたが,決して二章が一章に比べて格段と理解しがたいわけではないです.自分がサボっていt…

一章の時のように簡単に感想を書いていきます.今後,この本を読む方の参考になればと思います.







2-1 : 述語論理前史

最初の方を見ていると,述語論理には学生のころ数学で見た”∀”だとか”∃”の記号が初めて現れてきて,論理学のド素人の私には「これはいよいよ論理学っぽくなってきたな”といったところ.最初パラパラと読んだときに”集合の知識使っちまえば,述語論理って楽勝じゃね?”と思ったのが本音だ.しかし,後半の三章までぱらっと読んでみると,集合の知識を使って論理式を絵でかいてああだこうだ言っていると,述語論理の何が学問として価値があるのかがさっぱり理解できずに終わってしまう,ということが分かった.

述語論理の価値などを理解するためには,それが発展(?)するに至った歴史的経緯を理解するのが一番だと筆者は考えたのであろう.実際,自分は 2-1 で述語論理前史の論理学がどのようなものだったかというのを読んだことで,その価値が理解できたと信じている.イントロの次の筆者の意図が通じた気がして嬉しかった.

ここには,アリストテレス以来支配的であった伝統論理学が一挙に塗り替えられるという,知の歴史が遭遇したドラマ───革命───がある.できるならば,この地的ドラマを伝えてみたいのである.

「論理学」- 野矢茂樹, p.76 ll.1-3

この文章からも察しが付くが,2-1 ではアリストテレスのいわゆる「伝統論理学」を学んで,その限界を把握するといった内容になっている.先に命題論理を勉強したせいか,アリストテレスの論理学を見ると,「こんなことに論理”学”なんて大げさな名前つけたのかよ…」と思ってしまった.おそらくこの理由は,自分が伝統論理学の奥深さを理解していないせいでこのような発言をしてしまうのだろう(もし伝統論理学が当時からしても本当にクダラナイことだったら,アリストテレスの時代から今まで残ってることが面白いw).もう少し具体的には,三段論法に触れる.何はともあれ,2-1 ではアリストテレスの伝統論理学にサラッと触れることができる.そしてその伝統論理学の限界を把握ですることでこの節は終わっている.

2-2 : 述語論理の基本概念

前節で限界を提起し,この節ではその解決策としてフレーゲという人がどのような考えをしたのか,その考えとはどのようなものなのか,という内容を説明している.高校のころに「入れると何か結果が出てくるマジックボックス」のように関数のイメージを習ったが,ここでは命題「関数」という考え方がミソになってくる.ちなみに,この野矢さんの本では命題関数が大変わかりやすく書いてあるが,Wiki で命題関数を見てみると,数理論理学的に書いてあって,初学者の私は見てないことにした(後で数理論理学やりたくなったらどうせ見るだろうし).命題関数と並ぶ述語論理の肝として,量化という概念もここで導入される,そして節の最後のまとめに,これらによってアリストテレスの論理学の限界をどう乗り越えたかが整理されている.

命題関数や量化を習う際に議論領域や変項などの新しい単語がたくさん出てくるが,ゆっくり読めば理解できるようになっていた.しかし,問題を解こうと思うと以外につまづく.命題論理の時のようにすらすらいかないのだが,その理由は文章をそのまま何かの記号で置き換えるだけでなく,文章の意味を理解してから記号に書かなければならないせいだと思っている.最初は解けなくて自分には才能がないんだと開き直ろうとしたが,諦めず大問を三つほど解いてみると,あら不思議,意外と解けるようになるものだ.

しかし,この述語論理の考え方でどうして伝統論理学の限界を超えれたのかを順序立てて説明できる程度に理解するのには少し苦労した.一節で限界がなぜ限界かをしっかり理解しないで,基本概念を頭に入れてしまったせいだと思うので,初学者は 2-1 で示された限界をしっかり理解してから2節に進むとスムーズに学習できると思う.

2-3 : 述語論理の意味論,2-4 : 述語論理の構文論

命題論理の時と同じく,意味論と構文論を勉強する.

命題論理における論理的心理はトートロジーであったが,述語論理では妥当式という言い方になる.また,命題論理にはなかった「解釈」という概念と「決定手続き」については考えてみると面白い.意味論についてはこれまでをしっかり読んだのであればさほど難しくないという感想だ.

しかし,構文論は意味論ほどすんなり問題が解けなかった.命題論理の時の公理系に”∀”や”∃”の導入•除去則を加えたものを使いこなすだけといわれればそうなのだが,これが自分には大変難しかった.難しかった理由を考えてみると,やはり述語論理についてはどうしても”∀”と”∃”の記号に意味付けをして解釈してしまう癖があったからだと思う.構文論として記号の形そのものだけ認識できるようになれば徐々に解けていけたのも事実だ.しかしそれでも解けない.受験問題の時のようにいわゆる「わかっても解けない問題」特有のモヤモヤを久しぶりに味わった.時間をかけて色々試行錯誤をしてみても解けないあの気持ちである(そして答えを見て「あぁ,そうやるのかー回答創った人頭いいなー」と感心する).答えのある問題一つにこれだけ夢中になれたのは久しぶりだった.確かに難しいのだが,そこが癖になるというか…Mっ気があるんでしょうね,自分は.

章末の復習問題の最後に公理系を用いて様々な定理を証明する問題があるが,正直自分は 2-4 の問題だけでもへとへと疲れてしまったので,これらの問題は今度解くことにして次の章に進むことにした.

コメント

正直言うと,この記事を書く前に実はもう三章をパラパラと呼んだのだが,この三章が個人的にかなり面白いため,二章の具体的な内容について幾分かどうでもよく思って忘れてしまっている所もある.なので,この記事の文章はかなり幼稚な書き方になっていると思う.

三章では「今まで学んだ論理ってそれ何やってんの」を一つ上の立場(知ってる方はメタ論理のことだとピーンときたはず)で見ていくのだが,その「一つ上から」というのも面白いし,それによって得られる結論もかなり興味深い.論理でガッチガチに固めれば完璧という考えについて見直す機会を与えてくれて,今までの自分が一皮むけた感じがする.

書きながらも子供のようにワクワクしている.

ということで,三章についての感想は,節ごとに書くことに決めました.それだけでもだいぶ内容はあると思います.

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